長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
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- 移動手段/車
- 所要時間/5時間
- 距離/約30km
有馬キリシタン遺産記念館
有馬キリシタン遺産記念館は、世界遺産登録を目指している「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のガイダンス施設です。
南島原市における、キリスト教の伝来期から繁栄期までの歴史を示す「日野江城跡」や、潜伏のきっかけとなる島原・天草一揆の舞台となった「原城跡」のほか関連遺跡をわかりやすく解説しています。
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観光スポット>>有馬キリシタン遺産記念館
関連ページ>>原城温泉 真砂(まさご)
原城跡
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産です。
島原・天草一揆終焉の地。この一揆をきっかけに、江戸幕府は鎖国を完成させ、潜伏キリシタンは自分たちで信仰を続けることを余儀なくされ、メダイや十字架、多数の人骨が出土しています。
原城は明応5年(1496)、東肥前までも勢力を延ばし当時26万石ともいわれた領主・有馬貴純によって築かれたといわれ、周囲4キロの三方を有明海に囲まれ難攻不落の天然の要害で、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸からなり、別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城であったといわれています。
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詳しく見る>>世界文化遺産「原城跡」
日野江城跡
色鮮やかな陶磁器の破片なども出土している「日野江城跡」。
※階段遺構が発掘されていますが、現在は保護の為埋め戻されています。
宣教師ルイス・フロイスは、城の様子を「この建物の美しくみやびやかなたたずまいを一同は気に入った。大小の部屋はすべて黄金の品や典雅で華麗な絵画で飾られていた。この屋敷は最近、有馬晴信の手で建てられ、見事な出来栄えとなった城郭の中にある。その城郭を見たポルトガル人たちは、日本にこれほど壮麗な建造物があるなど考えてもみなかった。」と書き記しています。
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観光スポット>>日野江城跡
有馬川殉教地
有馬の教会は、キリシタン大名有馬晴信の時代に長い間、宣教師たちの布教の拠点となりました。
1612年から長崎奉行長谷川左兵衛と晴信の跡を継いだ有馬直純が始めた迫害が始まりました。
アドリアノ高橋主水、レオ林田助右衛門、レオ武富勘右衛門の3人の武士は、それまで有馬家の忠臣でしたが、棄教を拒んだために、レオ武富の息子パウロ、アドリアノの妻ヨハンナ、レオ林田の妻マルタとその子マグダレナとディエゴとともに火刑となりました。その様子は2万人もの信徒が見守る中の殉教であったとされます。
セルケイラ司教はこの殉教を「高来(たかく)(島原半島)のキリシタンたちのあかしは、日本の至るところで福音のすばらしい宣教になるでしょう」と報告しています。
2008年11月、日本における最初の列福式において福者となりました。
日野江城を望む田園の中に白い十字架が建てられ、今なお当時の面影をとどめています。
有家キリシタン史跡公園
有家町には現在33基のキリシタン墓碑の所在が確認されており、1986年、町内の尾上、力野、桜馬場に点在していた墓碑を集め、史跡公園として整備されています。現在、キリシタン墓碑21基が合祀され、それぞれ、「類子(ルイス)銘入り扁平蓋石型」「花十字紋入り扁平蓋石型」などの種類のキリシタン墓碑があります。また、園内には純白の十字架が建てられています。有家温泉神社上のなだらかな丘陵地帯にあり、前方には島原湾がひらけ、島原・天草一揆に関わる湯島(談合島)が見えます。
ルートマップ
- 1.有馬キリシタン遺産記念館
- 2.原城跡
- 3.日野江城跡
- 4.有馬川殉教地
- 5.有家キリシタン史跡公園