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有馬川殉教地
紹介文
有馬の教会は、キリシタン大名有馬晴信の時代に長い間、宣教師たちの布教の拠点となりました。
1612年から長崎奉行長谷川左兵衛と晴信の跡を継いだ有馬直純が始めた迫害が始まりました。
アドリアノ高橋主水、レオ林田助右衛門、レオ武富勘右衛門の3人の武士は、それまで有馬家の忠臣でしたが、棄教を拒んだために、レオ武富の息子パウロ、アドリアノの妻ヨハンナ、レオ林田の妻マルタとその子マグダレナとディエゴとともに火刑となりました。その様子は2万人もの信徒が見守る中の殉教であったとされます。
セルケイラ司教はこの殉教を「高来(たかく)(島原半島)のキリシタンたちのあかしは、日本の至るところで福音のすばらしい宣教になるでしょう」と報告しています。
2008年11月、日本における最初の列福式において福者となりました。
日野江城を望む田園の中に白い十字架が建てられ、今なお当時の面影をとどめています。
関連ページ>>世界遺産 原城跡
所在地 | 長崎県南島原市北有馬町戊2747 |
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